なぜ切り絵という画法を選ぶのか。
なぜ切り絵という画法を選ぶのか。
「なぜ、切り絵なんですか?」
という質問をよくいただきます。
いわゆる普通の絵、つまり油彩画や水彩画を描く人にはそういった問いかけはないでしょう。
ぼく自身が「普通の絵」という表現を使わざるを得ないというのは、なんだかはがゆい話なんですが。
普通の絵を描く人はきっと、
「絵を描く人」
で、納得して頂けるはずですね。
でも切り絵を描くぼくは、
「切り絵をする人」。
ぼくにとって、「切り絵」という表現方法は、油絵の具で絵を描くことや水彩絵の具で描くこと、鉛筆やクレパスで描くこととなんら変わらない延長線上にあるつもりです。
つまり、紙を切ることによって絵を描く。あくまで画材のひとつに過ぎません。
ですので
「なぜ、切り絵なんですか?」
という質問には、ただ「好きだから」「合っているから」としか答えようもなく、なんとも自分でもしっくりこない、あやふやな調子でやり過ごしてきました。せっかく興味を持って質問されている方に対して、「聞いてよかった」と思える応えを返せぬまま、数年経っていました。
先日、自宅アトリエ教室で教えている生徒さんとの会話のなかで、ようやくその質問の答え・・・というよりは、切り絵というものに知らず知らずのうちに感じている魅力のひとつを、言葉に表すことができた気がします。
いわゆる絵画と呼ばれるものの代表格が「油彩画」であり「水彩画」。
現実から空想世界まで、色彩表現に限りがなく、作者によって完全に完成された絵はほぼ鑑賞者に理解されやすく、伝わりやすいものです。それに対して切り絵は、白黒で描かれた作品を基調としたもので、色彩表現に限りがあるぶん(もちろん絵の具を使ってはいけない、というルールなどありません。が、ここでの場合は一般的なものとして)、鑑賞者の想像力に頼る部分がある、ということです。
つまり、油彩画・水彩画を映像作品またはわかりやすく映画、ととらえた時、
切り絵はその原作小説にあたる、のだと。
情景、登場人物を知っている場所や有名な俳優にあてはめながら読み進めていく原作小説の楽しみを、切り絵では味わえるというわけです。もちろん、作者の意のままに完成された映像作品も、素晴らしく優れた芸術作品であることは紛れもない事実。だからこそ共存できるわけですから。
そしてぼく自身も、油彩画・水彩画を観るのが好きで、リスペクトする作家も数知れず。発表することはないでしょうが、自ら筆を執る喜びも味わいながら画業を営んでおります。
ですがぼくはやはり、2大画法と比べるとやや不完全・未完成とも言える「切り絵」を、それそのものが魅力として感じられるわけです。圧倒的な迫力と美しさを誇る2大画法に、敵うとか敵わない、とかそんなことではない。
ぼくは「切り絵」という、絵を描くためのいち画法を使って、まだまだ鑑賞者の想像力を刺激し続けていきたい。まだまだ描ききれていないものがあるので、今日も明日も、また勉強し続けてゆかねばなりませんが。